足の測定に関して

「職人は、技術が9割。魂1割」
「その方の悩みに寄り添った 作り手の思い」を入れられる技術力でなければ、いくら思っても活かせない。
靴を靴として、しっかり作れるようになって その思いが活きるのです。

靴として作れないのに、足の測定だとか、手縫いだとか、ナニナニ製法だとか・・・。
木型補正しただとか。。。
そういう「ただの一つの手段、選択」に酔っていないか。

しっかり作る技術。資材選択、製法選択できる理解と知識。一つ一つの基礎技術。
それが無いのに、製法や木型補正など活きません。

履けないハンドソーン、履けない木型補正は、靴の形をしたアートでしかない。
履く靴を作るために、足を測定するのです。

ヒールの高さが左右で違う、傾いている靴っぽいのは、アートなら適。
履く靴ならば、不適。
靴を靴として、しっかり作ることが大切です。

私が作り手として、大切にしていることを最初に書きました。
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足の測定に関して
生徒さんより、どこを測定すればいいか。どう測定すればいいか。
と聞かれるときがあります。

「どんな情報があれば靴を作れると思いますか」と私に返される。

答えは。
別に30カ所測定してもいいし、1カ所だけでもいいし。
お客様が喜ぶ靴作れるのならば、測定する場所数なんて関係ないし、もしすかると測定値だって関係ないし。
自分で必要だと思うことは全部やればいい。

履いて、歩いて、喜んでもらえる仕事になるなら どんな経路でもいい。

私のやり方は、私だけの価値観に基づいている。
他の人は、その人の価値観に基づいて作業している。
私のやり方を土台にして、自分なりの測定を作っていくのでもいいし。
自分で最初から立ち上げてもいい。

なんでも正解だと言えます。

ただ、私が心がけていることは測定は絶対に両足で5分以内。
市販の靴より何倍も高額な靴を依頼する人の多くは、足が悪い場合がある。高齢の場合がある。
その方へ、何十分も立ったまま測定させることは不適と思っています。

測定ポイントが沢山あればあるほど、立たせたままで測定することは難しい。
だからと言って、座って測定させるなんて私には存在しない。
何故ならば、靴は立って歩いて使うものだから。
座って得た情報は、体重がしっかりかかっていないので私には役立たない。

教室の生徒さんへ言うのは、何十カ所計測してもいいけれど、依頼する人が立っているのが疲れるまで時間かけたら、足がだれてくるから、数字が役立たなくなる。
沢山時間かけて測定して、仮合わせ靴でも散々調整するならば、最初から仮合わせ靴で決めればいいこと。

朝と晩でも違うし、気温でも違うし、季節でも違うし、体調でも。左右の足でも違う。
そもそも、歩行とは「片足が空中にあって、片足が地面にいる」その繰り返し。

両足揃えて動いていない状態のとき、靴はゆるゆるでも問題なし。
直立状態の数値と、歩行を勉強して、歩行すると足がどうなるか、肉がどうなるか、いろいろなことを視野にいれて情報を押さえていくもの。

だから。
測定値は、ただの参考。
足を石膏で型とって、そのまま靴の形にしても履けないのはそのため。
「片足が空中にあって、片足が地面にいる」を繰り返して歩行です。

足の測定を頼りどころにする靴作りは、私は意味がないと考えています。
お客様の使い方、悩み、環境、歩き癖、足の個性、足の状態。
そこから、資材の選択、製法の選択、靴の提案があるべきと思います。

多くの箇所を多くの時間で測定すれば、丁寧な靴作りの印象受けるでしょうが、
「お客様の悩みが減り、心地よく履けるように作ることだけが適」です。
測定時間、測定箇所を多く行ったから、良い靴できることと関係ない。
そう生徒さんには伝えています。

私自身が心がけていること。
作った靴が合わないとき、数値をオチに使うという「下手くそ」なってはならない。
役に立つ数字なのか、役に立たない数字なのか。
足がかりにしかならない。それくらいのもの。
足を見て、悩みを聞いて、生活を聞いて、そして技術で作るのが誂え靴だと思います。

自分の先生に 何度も習ったことも書きます。
「職人は、技術が9割。魂1割」
「その方の悩みに寄り添った 作り手の思い」を入れられる技術力でなければ、いくら思っても活かせない。
靴を靴として、しっかり作れるようになって その思いが活きる。

ここを忘れている人が多い。

靴として作れないのに、足の測定だとか、手縫いだとか、ナニナニ製法だとか・・・。
木型補正しただとか。。。
そういう「ただの一つの手段、選択」に酔っていないか。

しっかり作る技術。資材選択、製法選択できる理解と知識。一つ一つの基礎技術。
それが無くて、製法や木型補正など活きません。

そして、もう一つ大事なこと。
世の中の9割以上が誂え靴なんて履いてない。
足を測定しないでも生きています。
みんな不備を感じていない。

それなのに、木型補正した靴が最も素晴らしいもの。
木型補正技術が「靴作りの難しさの最も上にあるもの」扱いしている。
足を測定する行為、木型補正する行為を「美しいもの」扱いしないでほしい。
そういう価値観はおかしい。

木型補正なんて美しい話でも、恰好良い行為でも、すごいとか、なんでもない。

その仕事では普通のこと。当たり前のこと。
お客様に喜んでもらうためのただの一つの技術。
依頼主に喜ばれる仕事にしたくてやるのならば、みんなの仕事だって同じ。

ただ きちんと仕事をする。
お客さんに喜んでほしくて、誠実に作る。
それだけ。
手段をうたい文句にする必要がない。

履きが悪い。靴になれない。
それで、自分のやりたい製法、自分のやりたい木型補正していたら「靴を題材にしたアート」じゃないか。

「職人は、技術が9割。魂1割」
「その方の悩みに寄り添った 作り手の思い」を入れるには。
靴を靴として作れなければ、その思いは活きない。

どうにかして悩みを解消したいと思うから、技術に向き合う。
だから、誠実さ、思いやりがなかったら オーダー靴は作れないと思っています。