手作りという言葉

「手作り」というと、心がこもっている。
作り手の思いが入っている。
そんな印象だと思います。

反対に、市販品は、「手作り品」ではなく「製品」のような印象になると思います。

私の思いですが、
日本製の市販品の全ては、その会社の作り手の思いが入っていると思います。
工業製品でありながら、履く人を考え、コストを抑え、多くの人を幸せにしていると思っています。

逆に、「手作り」という言葉は「雑」、「作りの甘さ」を隠したいからだと思っているくらいです。

歩くことを考えるより、作るのが楽しいからが優先。
丈夫に作ることを考えることもなく、作るのが楽しいからが優先。
履きやすさを考えることもなく、作るのが楽しいからが優先。
珍しい靴作ってやろうと、浅い考えが優先。
作り手の楽しいだけが優先されている気さえする。

「考えることもなく」は、その人なりに考えているだろうはある。
それはあるけど、より良くしたいと追及しているか否かは出てしまっている。
それは、望ましくないことを続けているということ。

世の中に出回っていないにはわけがあって
先人の靴職人が積み重ねてきた知見があるから。

履きにくい。
壊れる。
歩きにくい。

などが事実があったから。
単純に、誰も気付いていないから作っていないのではない。

壊れやすいところを、安易な縫い方している。
デザインのために、こすれて血が出てきた。
履きにくくなる場所に、余計なものを差し込んでいる。
足が当たって、こすれて血が出やすい作り。

履き口の深さが左右で違う。
踵の高さが左右で違う。
踵の高さが、右足の内と外で違う。左足も同様。
他にも沢山。
見ると、すぐに分かるのです。

先人の学びも受け、お客様の声、そして市場に学ばなくてはなりません。
先生の教えが正しいと鵜呑みにしている人は、自分なりに精査することがない。

「自分は始めたばかりで意見など言える立場にない。よく分からないので」とかすぐに言う。
そういう人は、お客様を考えない独りよがりな作りをすると思っています。
また、何年経過しても靴が汚い。靴にならない。

プロとして学ぶと決めたときから、技術が未熟なだけで、意識はプロにならなくてはならない。

「手作り」だからできることは、細かな微調整ができるということ。
そのこと以外は、工業製品として作るものと思っています。
壊れず、希望に寄り添うように作るには、「工業製品」の精度がとても大切です。

日本のメーカーが作る工業製品の精度は、世界一だと思います。
履く人を考え続けている資材選定、作りの細かさに触れたとき、この会社すごいなぁと思いました。
いろいろな靴を解体して勉強してきましたが、日本の靴は本当に素晴らしいのです。

その道のプロが、より良くしよう より良くしようと悩んで出した製品精度。
自分が楽しくて作った半アマチュアの「手作り」
どっちが、「お客様の喜び」を追及しているかと思うのです。

木型に革を寄り添わせたら 靴 ではありません。
ここを本当に強く言いたい。
作りながら、壊しているようなものは 靴 ではない。
靴は、クラフト細工の延長線上にはないのです。

「しっかり靴を作る」ということを自身に言い聞かせ、生徒さんの心に伝えたい。