プロコース 技術の伝達

プロコース 技術の伝達について。

師から自分、そして次と繋ぐに当たり。
より濃度を濃くして渡していくものだと思っています。

自分の先生の技術を劣化させないことは約束事で。
そのうえで、自分の色を載せて渡すものだと思う。

階層が増えるほどに、伝達量と伝達内容が劣化したコピーになるのは避けたい。
劣化すると、靴を靴として作れない「見た目が靴」になると思ってる。

私が次に繋ぐ人に「思いやりのある人 信用できる人」を求めるのは、技術を劣化させない人と思えるから。
劣化した技術を伝えたら、それを見本にしたら。
それが上限になって さらに劣化していく。
何世代か後には、まるで違う形になる。

私が伝える人は、ラオウでも、トキでも、ケンシロウでもいい。
みんな技を向上させようとしてるから。

避けたいのは、中途半端な「手順覚えただけ」で語る人 を生み出したくない。

簡単に妥協して 見せかけ作ったり、分かった口きいたり。
少しの経験で「手順覚えたから 職人でしょ」を生み出したくない。

この教室は、高額な教室より 劣っていると思われるかもしれないけど、ものすごく技術志向。

改めて学び直してる人達はみな驚く。

良い見本に触れることができなければ、「良し」を知ることができない。
同じ道具、同じ作業で、まるで違う結果を見なければ、「下手」を知ることができない。
同じ作業を、まるで違う速度で処理されなければ「向き合う量不足」を知ることができない。

良い見本があることで、「向き合い続ければ 必ずできるようになる」と自分を信じていける。

私と一緒にいても、2年くらいで「先生と同じようなの作れた」とは思うことは無いだろうし。
私に習って、数年で「俺できる」とは、思わないだろう。
私と同じくらいできた と思ったら開業するんだろうけど、思えないんじゃないかな。

技術 と 手順 は違う。
手順覚えたから 技術も覚えたは 違う。
中途半端な靴作りにならないよう、学ぶ期間を定めたくない。

背水の陣は、やってはいけない。
いまを捨てて飛び込むのも駄目。
何か得るために、何か捨てる なんて、ゆっくり始めてから考えて遅くない。

何も知らない世界なのだから。
少しずつ知って、少しずつ 深く学んでいくことが大事。

野球選手になった少年は、最初は楽しくて始めただけで。
楽しいから、続けていただけで。

そのうち、みんなから上手と言われて。
そのうち、選抜されるようになって。
そのうち、もしかして野球選手になれるかもと思って。
気付いたら、頑張っているんじゃないのかな。

みんなが遊んでいるときも、練習するのは 頑張ればできると思えたから。

何か得るために何か捨てる なんて気持ちで野球初めてない。
楽しい気持ちを知るのに、背水の陣 関係ない。

一般的に捉えられることに当てはめて考えてほしい。